誕生日という魔物

 今日も続けてつらつらと。いつまで続くんかわからんけれども、とりあえず気の向くままにやってみようと思います。
 今日やっぱり一番大きかったのはdddmaに初体験を持ってかれたことですわな。誕生日という日に物を、しかもある程度コンセプトありき、というか自分のことを考えて選ばれた物をもらったときの嬉しさがここまでのものとは。21年目にして初めて実感しました。本当に驚くべきことだったこれは。
 これまで親族には記念日と全く関係ない日に物をバンバンあげていたのだけど、実にもったいないことをしていた。日にちが違うだけで威力が全然違うのだよ!こんな簡単なことで!
 誕生日っていうのは、自分と密接に関係のある日なわけで(勝手に決められた枠組みではあるけれど)、おそらくそれに対して他人が意識を向けてくれているということがやはり大きい。覚えていてくれているという事実そのものの威力。
 日にちというのはそのままにしておけば、それ自体なんのとっかかりもなくサラサラと流れていくわけで、ある集中が生まれることはそう多くない。しかも他人にとって特別だというだけで。 
 プラス、真摯な態度。真面目に自分について考えて物を選んでくれるということは、限られた時間とエネルギーを割くということなわけで、これはなかなかできることじゃない。
 人の誕生日を尊重するということは、その人自体を大きく尊重していることになる。
 この威力は使えるな。逆にいえば同じことをすれば、この感覚を他の人に味あわせることができるということになる。人心掌握術ここに極まれり!ということなんじゃないだろうか。
 うーんあの人には何を送ろうか・・・などと妄想は尽きないが、誕生日というものは1年に1回しか来ないし、つと思いたっただけでは誕生日プレゼントは実現しない。これも誕プレの妙味だな。
 かといって親の誕生日すら覚えていないので、まずはそこから始めないといかんなと思う。