写経のように書いてみる

香山リカ著「文章は写経のように書くのがいい」を読んだ影響から文章を書いてみることにした。一定のペースであまり考えすぎず書いていくのがいいらしいので、あまり考えないように考えて書こうと思う。
 とりあえず今日印象に残ったことでも書こうかしら。夜飯になか卯へ行ったのだけれど(もちろんいつものKとTで)、その時に挙がった話。なぜ自分とTはみんなでワイワイものをつくるのが嫌なのか、それに参加しようと思えないのか。
 研究会のメンバーが集まって談笑しながら各々、ウレタンやケミカルウッドを削っていたのだが、少なからず嫌悪感を抱いてしまった。イヤホンを耳にねじ込んでひたすら大橋トリオといった具合だ。
 僕の基本的な性質として「天邪鬼」「みんなと同じことがしたくない」というのはあると思う。自分でしょうもないと思いつつこれだけはどうしようもない。ときどき自分の存在価値は人と違うことをすることだ!と意気込んだりもするが、まったく詮ないことだと思う。
 K曰く、3人組と話ていることとは全く違うようなことを話ていたらしい。モナリザ世界遺産じゃないのはなぜでしょう?といったようなお互いに問題をだしあったり云々。僕は「地元で起こるトークみたいなもんね。」と括ってしまった。なぜあの場でそういった話をすることがそもそも癇に障るのか?
 僕は真面目なほうじゃないし、Kからは怠惰の代名詞みたいなことまで言われるのに、これは一体どういうことなのか。
 そもそも個人課題であるし、作業自体は一人でするものだから大勢でワイワイとやる必要はない。他の学校だとどうなのだろうか?と考えたが、あのような光景が見られるとは思えない。もしかしたら繰り広げられているかもしれないが、そうであって欲しくない。
 先生が金曜日に来られなくなった旨を聞き、1人が言った「苦しみが長引いた」という発言もしっくりこない。苦しみであるべきことではないはずだ。そうであっては、未来永劫苦しみの連続になってしまう。
 端的にノリが合わないということにしてしまおうか。僕はあの場であの手の話をする気になれないというだけの話か。飲み会ならなんぼでも、という気分は確かにある。もうすこし違う場で、違う時間で、ああいうノリをしたい。